不便だけど、不憫じゃない

今日は9月11日金曜日です。

今日の一言 「不便だけど、不憫じゃない」(原典: 写真家の管洋志さん)

横浜市立盲特別支援学校の生徒たちが“写真”を撮り、その本が出版されています。 “キッズフォトグラファーズ盲学校の23人が撮った!” (新潮社) いくつかの写真をみる感じでは、とても目が見えない子供たちにより写されているとは思えないものです。目が見えない子供たちは、 音、風、匂い、振動、温度、手触り、大きさ・高さ といった、あらゆる感触を手がかりに、自分のまわり の空間を構成しているようです。

だから、目が見える方がすこし助けてあげるだけで 自分の目の前にあるものを想定し、写真を撮ることができるのだそうです。 そして、撮った写真は自分が見ることができないのでやはり目が見える人に、写真を読み取ってもらったり 点字の説明文をつくってもらい、それらにより、写真を鑑賞することができる、とのことです。

この写真により、この子供たちは、自らがいる空間を 文字以外の記録として残す新たな“手段”を得たようです。目が見える人の“言葉”を通じて“見る”という手段をとりますが文字だけの情報よりは、遥かに豊かな情報を残すことが できるわけです。

当初子供たちによる写真撮影と出版は、学内活動という形で行われたとのことです。 しかし、その活動以後も子供たちは自発的に家庭でも写真を撮りつづけたとのこと。

写真撮影のお世話をした写真家の管洋志さんは、そのことを 聞かされ、深く感動し、出版社と話をして、今度は出版社を通じて本を出すことができたそうです。

その活動を通じて、管洋志さんが感じた言葉が“不便だけど、不憫じゃない”ということ。不便であり、困ることはたしかにあるが、だからといって哀れで可哀想な存在ではない、ということのようです。

ある子供は、写真を撮ることにより引っ込み思案が解消し いろんな場所に積極的に出かけるようになれたとのこと。人の可能性を信じきること、そんなことの大切さ、素晴らしさをこの出版された 本から、感じるとれるような気がします。

  • 【今日の目標】

人の可能性を信じる 、これは家族や同僚といったまわりの人の可能性を 信じることも大切ですが同時に、自分の可能性を信じきることももっと大切なようですね。

自分をとりまく状況が、全部自分にとって都合の良いことはなかなかないようです。だから、いつでも何かが“不便”であり、“不都合”。でも、自分の可能性を信じることができれば、それは不憫でもなんでもなく、不便こそが、あらたな成長の機会を与えてくれるようです。

反対に“自分ってだめ。。。”と、憐れんだり “しょうがない”と諦めては、そこで成長が止まってしまうのかもしれませんね。 盲学校の生徒は、目が見えないからといって写真をとることを諦めはしなかったようです。

今日も一日、満面の笑顔で写真を撮っている盲学校の 子供たちを思いうかべ、“不便だけど、不憫じゃない”を心に刻み、自分を含む“人”の可能性を信じきる一日としましょう。

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