今日は9月28日月曜日です
今日の一言「事実」
わたしごとですが、16才の時に家を出ました。出ましたといっても、家出をしたわけではなく、高校の交換留学にいってしまったのです。普通に高校には進学したのですが“何か変だ。。。”という気持ちが昂じて、エイやで勝手に決めてしまったのです。
その出発の日、わたしの母親は空港で見送ることを拒否し、家の前で見送るといいました。見ると、目が真っ赤です。。。まともに、わたしのほうを見ることもできないようです。(大げさだな。。。別にこれで最後というわけでもないのに。。。)当時の私はそう思っていました。その時の自分も、やはりふり向きもせず、ただ、前だけを見ていたようです。
そんな自分と、自分の母親のことを思い返しているとき、ふっと気がついたことがありました。私が16才のとき、私の母親はいくつであったのだろうか。確か、25才か26才のときに生まれているので、母親はせいぜい41才か42才です。
なんと、母親は、今の私より若いときに、16才のトンチンカンな息子を海外留学させてしまい、少なくとも、これから1年間は会えないということです。(ネットはありません。手紙は一週間かかる時代です)また、その1年か2年前は、長男も全寮制の高校に入っていました。つまり、41才か42才の若さで、子供二人がさっさと家から旅立ってしまっていたのです。。。これが事実でした。
よく、“人の立場にたって考えなさい”ということを子供のころ言われた記憶があります。でも、実際のところ、人がどのように何を思うのか、感じるのかを想像することはとても難しいものです。また、想像したとして、かなりトンチンカンな想像しかできないかもしれません。
しかし、その人をとりまく“事実”を知ることはできます。大事なのは相手のことを“考えて想像する”ことではなく、相手の“事実を知ってあげる”ことのようです。
社内や地域において、“なぜ、この人はこんなことをしたり、話したりするのだろうか?”と、首をかしげるときがあります。そのとき“なぜかなぁ。。。と”その人の心を分析したり、仮説をたてたり、あるいは“こうあってほしい”と願ったとしても、結果的には何も起きません。
返って、そう思うことによりこちらがストレスとなります。それよりは、こちらが心をカラにして、その人をとりまく事実を知ることが良いようです。“どんなことを教わってきたのかなぁ。。どんな仕事をしてきたなぁ。。。どんなことを体験してきたのかなぁ。。。”事実がわかると、なぜその人が、“そんなこと”をしたり、言ったりすることが、自然と理解ができるようになることがあるようです。理解はできなくても、とりあえず、受け止めることはできるようです。
すると、そこから、その人に対するこちらの行動や言葉が変化し、関係がより良い方向に向かうことがあるようです。私の場合、実は“自分の親”に関する事実をほとんど
知りません。でも自分が子供を持つようになったときに同じような思いがあり、母親の思いが思い知らされました。
それと同じように、自分の奥さんのこと、部下のこと、上司のこと、同僚のこと、いかがでしょうか。
今日も一日、相手に対する自分の“思い”を一度カラにして、ただ事実だけを知り、それを受け止め、そこから良い関係づくりを始める一日としましょう。