今日は、6月10日水曜日です。
○ 今日は、お知り合いでTさんからいただいた何気に良いお話です。
—(ここから)—
スタッフに新しいチャレンジをさせてみた。
そして、予想通りうまく行かず結局自分でやる羽目になった。
しかし、そこで、丁寧に教えながら進めて、終わってから、
「頑張ってやってみてくれて、ありがとう。」といってみた。
(普段は言わないのですが、なんとなく)
すると、そのスタッフ(34歳)の顔がすごく明るくなって、
「何かありましたら何でも言ってください。やってみます。」といってくれた。
その時の笑顔がなんとも言えない位気持ちのいいもので、
僕の心がジーンとなるのが分かった。
実際、何よりもうれしかったように思う。
みんな役に立ちたいと思っているのではないか。
それをうまくやりやすいように心の面でもサポートする事が
大切ではないだろうか。仕組みを作るのでも良い。
やらせてみて、欠点を指摘する事も大切だが、
一度、受け入れて、頑張ってやったところまでを
「ありがとう」とこれから言ってみるようにします。
—(ここまで)—
何気ない職場でのできごと、。。。
でも読んでいても、ジーンとなりました。
Tさんのこのささやかな取り組みの風景からは
□ 管理職やリーダーの立場からも
□ 実際に仕事を担っているスタッフの立場からも
それぞれの立場から、いろいろと感じること、思い起こすこと、
おっと、反省することがあるかもしれませんね。
このような、どこにでもありそうな状況、でも職場の風土をかたち
づくる真実の瞬間のような状況を思い浮かべ
“自分だったらどうしただろう?” と、あらためて
ふり返ってみることも良いことかもしれませんね。
○ 「ありがとう」
この言葉を、いつ、自分はつかっているのか
(あるいは、全然つかっていないのか(汗。。))
Tさんからのお話をうかがい、思わず自問したのが、この問いです。
そもそも、私は、何に対して感謝するのか?
□ 良い結果?
□ 結果は別にして、とにかく最後までやったこと?
□ 工夫しようとしていること?
□ まずは、やろうとしていること?
□ ともに働いていること?
□ とにかく、そばにいてくれていること?
これをゆっくりと思い返していると、人は、ある人には、あきらかに
結果を求めていたり、別の人には、がんばる姿勢があれば感謝
している自分を見つけるかもしれません。
そして、その違いの根っこは、なんでしょうか。
いろいろ思い返してみると、自分のなかで
なにか思い当たる節があるのかもしれませんね。
今日も一日、昨日自分は、誰に、どんな時に、「ありがとう」
という言葉使ったのかをふり返りつつ、そこにある
自分なりの気持ちや、そういった動機を思い返し、
もう一歩、周りの人々への「ありがとう」の言葉を
増やしてみることを試みる一日としましょう。
【今日のおまけ】
根っこのひとつ。。。
もしかすると、それは、その人への甘えや依存の程度と
関係があるのかもしれませんね
(常に結果を求める→甘え・依存が強い?)