こんにちは。今日は、5月29日金曜日です。
いきなりですが、ある、”発見” を改めてしました。
それが何かというと
人は何かを発見すると、”喜ぶ” 生き物だ
ということです。
。。。あたり前?
そうかもしれません。
でも、なぜでしょうか。
ネットで、検索すると、”発見” という 言葉と、”喜び” という言葉が同じ文章のなかで使われているケースがとても多いことに気がつきます。
例えば、
□ 幼児が、あるおもちゃを動かすと、そこから音がでることを発見すると、笑いながら喜ぶ
□ 小学生が、算数の問題の解き方を発見すると”わかった!”といって、興奮しながら喜ぶ
□ 若者が、どうすれば、彼女が喜んでくれるのかを発見するととても、胸があつくなりながら喜ぶ
□ 仕事の現場で、問題や不良の理由、本質を発見すると、”なるほど”といって、しずかに喜ぶ
では、そもそも、”発見”とは何か
Yahoo 辞書さんによると、
”まだ知られていなかったものを見つけ出すこと。
また、わからなかった存在を見いだすこと。”
とのこと。
すると、キーワードはどうやら
□ 知られていないことを、知るようになる すなわち、”新しい知識の獲得”
□ 分からなかったことを、分かるようになる すなわち、”新しいルール・法則性の獲得”
が、発見ということのようです。
そんな、新しい知識、新しいルール・法則性を獲得することにより、予想もしなかったことを知ったり、”こうすれば、こうなるんだ!”ということを知ったりする、そんなとことから、頭のモヤが消えたり、まったく新しい視点が自分のなかに入ってきたりすると、それや、”喜び”になるようです。
では、どんなときでも、”発見” すれば、それは、喜びでしょうか。
意外とそうでもないかもしれません。
”あ~ぁ、見たくないもの見ちゃった”
ということも。
すると、発見が喜びにつながる、つながらないかの違いは何か。
まだ、おぼろげですが、その一つとして
- 自分にとってどうでも良いことであれば、あまり喜びにはつながらないかもしれない。そもそも、”発見”をしない。
ということがあるかもしれません。
反対に、
- 自分の意識が集中している(すなわち、それなりの苦労もかかる)ことについて発見があれば強い喜びがあるようです。
木曜日の朝一番は、日々、自分は、どんなことに発見を見出しているのか、また、どんなことに意識的に、また無意識的に集中しているのかを振り返り、自らの”発見感度”を、確かめてみることも良いことかもしれませんね。
こんな言葉もあるようです。
”仕事をする上で3つの喜びがある。
発見の喜び、創造の喜び、上達の喜び。
特に、発見の喜びというのはものすごく大きい。
優秀な上司は部下に発見の喜びを教えるが、
駄目な上司ほどそれを失わさせる。”
(原典:田中邦彦(回転寿司チェーン・くらコーポレーション社長・創業者))
うぅぅん、実によくわかりますね。
発見する喜びを実現するためには
ー 自分が苦労しながら集中していることについて
ー 自分にとって、新しい知識の獲得
ー 自分にとって、新しい法則、ルールの獲得
が、喜びが生まれる条件だとすると、
良い上司さんは、その部下さんが発見したことが、いかに、それが、もうすでに、分かりきっていることであったとしても、”その人にとっての発見”を大事にし認めることとなるようですが、
残念な上司さんは、”そんなの当たり前だろう”で終わってしまうということなのかも。
また、良い上司さんは、日々、仕事の上手なやり方を発見させ、自らルールを決めさせることを促すが、残念な上司さんは、自分がルールをつくり、部下にそれをやらせることを頑張っているのかもしれませんね。
今日も一日、わが職場・わが社において、日々どのような発見があり、また喜びがあるのかを振り返り、私たちは何に集中すべきか、またそれはなぜかを共有しあい、一人一人にとっての発見を認めあい、日々の小さな発見が、大きな喜びとして蓄積する職場であることをそれぞれの立場で試みる一日としましょう。