今日は、2月3日水曜日です。
今日の一言【他人に迷惑をかけないように】
“子供に、「他人に迷惑をかけないように」という教え方を するのは間違いだ。”
(原典:不詳、お知り合いのHさんからの伝聞です)
Hさんとのメールのやりとりのなかで、ご紹介いただいた言葉です。一瞬、???と、なるこの言葉。意味は、こういうことのようです。
“他人に迷惑をかけない様にと教えても、 迷惑かどうか判断するのは他人であり、子ども自身ではない。 それでは相手が迷惑をしなければ、なんでもして良いとなる。
だから、子供には、こんな大人になりたいと思う理想の姿が必要なんだ。ある一定の時期、小学校5年から中学2年の間くらいは偉人など素晴らしい人の話を沢山読むことが 重要なのです。”ということのようです。
“迷惑かどうか判断するのは他人”まさしくその通りです。同時に、もし、自分のなにがしかの行為が、人に迷惑をかけていないと「見える」のであればやはり、それは、“迷惑かけてないから、なんでもして良い”となるということに、つながってしまう。
すなわち、外の要求や都合にあわせる教育では、判断する軸は外にあるので、子供自身のなかに、判断軸をもたせることが難しい、ということのようです。これを会社という場で考えてみるとどうでしょうか。
本来会社は、“お客様のため”に存在する組織です。基本のキを考えると、会社の役割(使命)は、お客様が求める商品・サービスを提供すること。それなしでは、存在理由が問われてしまいます。すると、本来は「お客様のために」を全員が全力で取り組んでいれば、自ずから良い会社ができあがるはずですが、そこに、先ほどの「見える」ということが忍び込んでくるようです。
例えば、
□ “この仕事は、お客様に直接関係ない” のように見える
□ “もう、十分お客様のためになっている”、のように見える
□ “それは、お客様のわがまま”、のように見える
ということのようです。
この「見える」が会社のなかに忍び入ると、途端に、これは、「お客様のため」とは関係がない、もう十分だから“なんでもして良い”になる、ということになるのかもしれませんね。
そして、そうならないためには、外に判断軸を持たせる(委ねてしまう)のではなく、自分(会社のなか、社員の心)に、何が良い・悪いの判断軸を持たせることが大事ということのようですね。
今日のやや“ガツン”とくる一言、自らの家庭や職場に置き換えてみると、どのような風景が見えてくるのかさらっと振り返ることも良いことかもしれませんね。
幼少のころに親から教わることは、その人のその後の生き方にかなり大きな影響を与えるようです。同様に、社会人としての一歩を踏み出す会社においてどのような社会人教育を受けるのかも、その人の企業人としてのあり方に大きな影響を与えることがあるようです。
とはいえ、自分自身が親からどのような影響を受けているのかを客観的に理解し、その自分と対峙する場(内省、瞑想)をもちつづけることにより、そんな影響から少しづつ脱却することもできるようです。
会社という枠組みでは、この“自分との対峙”は、どのようにすれば良いのでしょうか。その一つが、例えば、社内における、“まじめな話し合い”ということなのかもしれませんね。まじめな話し合いから、様々な考え、気持ちをお互いに確認することにより、すこしづつ、会社のなかに“自律の判断軸”がうまれてくるのかもしれませんね。
今日も一日、家庭や職場において、自分は家族や社員・同僚にどのような言葉をかけているのかをさらっと振り返り、家庭や職場において、“自律の判断軸”の成長をうながすことに少しだけ心がける一日としましょう。