今日は、11月23日月曜日です。
【問題が起きてしまうシステム】
今日は、軽いネタです。わが家は、団地のなかにあります。また、一番道路に近いところ、そして、道路に近いところにはゴミステーションがあります。このあたりも、ゴミの分別が進んでおり、概ねその通りにゴミが出されるのですが、たまにそうではないゴミがだされるときもあります。
カラスがそれをごちそうにしようとし、ゴミ袋はつっつかれ、振り回されたりするので、中身がとびちりゴミステーションは、かなり悲惨な状態になっていました。。。。おやおや。。。と、見つめていると、そこに団登校の小学生がやってきました。そこで小学生の男の子が一言“あ!ひでー、からすだ、からすのせいだ”。確かにゴミ袋を悲惨な状態にしたのは、たしかにカラスです。でも、もともとは、
□ ゴミの回収日でない日に
□ 全く分別されていないゴミを
□ おそらく長時間放置
したのは、まぎれもなく“人”なのです。カラスは、生きていくために、ゴミをあさるのです。これを止めるのはかなり困難です。だから、本当はカラスではなく“あ!ひで~、
人だ、人のせいだ”と言っていただくのが本当のように感じますが、どうやら私たちは、そうではなく、なにか問題があったらこのカラスたちのようにその問題に最後に関わった人、今、問題を抱えている人ををつい非難してしまうということがあるのかもしれませんね。
どこの誰か分かりませんが、そんなゴミがつくりあげた悲惨な状況、そして、小学生の一言そんなことからも“今、目の前にある問題は、なぜ、しかるべくして起きているのか”という問いが、本当は大事なんだなぁ・・・ということをさらっと感じさせていただいた朝一番の出来事でした。
ということで、いつものさらっと深掘りです。問題が繰り返しおきると、それは“しかるべくしておきている”つまり、そこには、問題がおきてしまうシステムがあるということのようです。ゴミステーションの悲惨な状況をみると、ついその状況そのものに目がいき、そこに感情がからみつき、“誰がやった?”“モラルの低下だ!”という方向に頭が向かいそうですが、“しかるべくしておきている”システムを、冷静な目でみていると、次のことにきがつきます。
□ ゴミステーションが悲惨な状況になる要因
□ 生ゴミが入ったゴミ袋が長時間放置される
□ カラスよけのネットが使われていない
□ おなかをすかしたカラスが近所に生息している
この3つが重なったとき、ゴミステーションは“しかるべくして”悲惨な状況になる、ということに気がつきます。すると、カラスのおなか具合の管理は難しそうですが、どうすれば、ゴミは長時間放置されないようになるかを工夫していくことがよさそうだ、ということに気がつきます。
そのための方法には、ゴミステーションを鍵付きににしてしまうとか、いろいろありそうですが、例えば、例の“割れ窓理論”に基づけば、いつも、ゴミがまったくないきれいな場所にしておけば、ゴミが新たにおかれる可能性が減るということも、あるかもしれませんね。(実際、今日はゴミステーションに、すこし他のゴミもありました)
今日も一日、家庭や職場において、ある問題が繰り返し起きているのであれば“それは、しかるべくしておきている”ということをさらっと思い出し、その問題が引き起こす感情に引っ張られることなく、科学者のような目線で、冷静に要因分析をし“あぁ、まずはここから手をつければいい”というポイントを明らかにする一日としましょう。