今日は、10月19日月曜日です。
今日の一言【常識】
あるお知り合いさんから聞いた今日の一言です。
“常識で考えず、常識を考える”
いかがでしょうか。一瞬、何を言わんとしているのか。。ととまどいを感じる言葉ですが、実はとても味わい深いようです。まず、“常識で考える”ということこれは、すでに、常識という基準があり、それに基づき物事を評価したり、判断するということのようです。“それは常識だろう~” という言葉。そして、そのような言葉を使っているときは、自分のなかに瞬間的な反応があり、そんな反応を正当化するための言葉でもあるかもしれません。
あるいは、一般的に言われている“常識”というものがあり、それをありがたく無防備に受け入れている自分がある、という捉えかたもできるようです。それでは、“常識を考える” というのはどういう意味でしょうか。
まず、何が常識なのかということを考えることをしなくてはいけない言葉のようです。
一度立ち止まり、思考を整理し、深く内省しながら、自らにとっての“常識”とは何かを考えることが求められる言葉です。
そして、自らのなかに、自らにとっての“常識”を確立することでもあるようです。また、“常識”という言葉からは、物事における、法則性や普遍性、あるいは基準(スタンダード)が求められているかもしれません。自分だけに通用する常識をふりまわしても、やや周囲にははた迷惑な人になってしまうかもしれませんね。
自分、わが家・わが社にとっての“常識”とは何かそんなことをさらっと振り返り、また対話を深めることも良いかもしれませんね。
“知見” という言葉もあります。意味は、実際に見て知ること。また、見聞して得た知識、見解、見識、事物に対する正しい認識。また、知識によって得た見解。ということのようです。普遍的な“常識”、だれもが“そうだよね~”と思える。常識を求めていくと、それは、ただ頭のなかにある観念ではなく、“実際に根ざした知見”に基づくものになるようです。
すると“実際を知る” ということを多くの対話の中から積み重ねることができる組織こそが、確とした“常識”をもっている組織ということにつながるようです。
今日も一日、家庭や職場において、お互いにとっての“実際を知る”ための話し合いを繰り返し、そこから微かに見える普遍的な“知見”を探り合い、自分、わが家・わが社にとっての“常識”とは何かをゆっくりと、すこしづつ形にしていく一日としましょう。