以前お知り合いの方にこんなお話をいただきましたので、ご紹介です。
「1日をしっかりと生きること」
頭の中では理解をしているはずだが、 本当に実行できているか。
武士道では、武士はいつ死んでもよいと思え、という。
死ぬためにそう思うのではなく、 明日死んでも後悔しない今日を生きるため。
人が6ヶ月しか生きられないと知ると、 その6ヶ月を大切にして大事なことをやりぬく。
3ヶ月しか生きられないとしたら、その間しっかり生きる。
明日までしか生きられないと思えば、 今日をしっかり生きることができる。
こういう理屈は分かっていても、やはり自分に甘い。
手抜き工事も多い。
一日をしっかり生きるのではなく、
1秒X60分X24時間という単位でしっかり生きたいものだ。
そうなんですよね
時間を無限に思うと、つい…
しかし、仕事とは、ある期限のなかで行うもの
大きな目でみれば、自分の人生・寿命が、その期限
その人生にもいくつか区切りがあり
幼少、こども、学生、青年、壮年…とつづく
すると、 自分の人生、生き様を、どういう単位で区切って、
”この限られた時間ので、何をする”という意識を
どれだけ 鮮明に意識しているのか
ということが重要なのかもしれませんね。
一日をしっかり生きるのではなく、
1秒X60分X24時間という単位でしっかり生きたい
という言葉、とても深く心に染みいるようですね。
私が30代の時だったと思います。ある夏か冬の休みの時に、実家を訪れていました。
そこで、冗談半分に、こんなことを母親にいいました。
”夏と冬の休みあわせて一週間は、実家にこれるとして、 おかあちゃんの寿命があと30年あったとしたら、 1週間x30なので、210日しか、おかあちゃんと 過ごせないことになるね”
すると、”え?!”といったまた、母親がいきなり 泣き出してしまいました。
”冗談だよ”と取り繕っても、全然取り繕いになっていません。
なぜなら、それは実は全然冗談ではなく、それが真実 だから、ということに親子で気がついてしまったからです。
それから、数年後、母親さんは、実際に冗談ではなく、 乳ガンで天国に旅立っていきました。
その病にかかっていることがわかった時、”あんな冗談 いわなければ…”という悔やみと、同時に、
”できるだけ一緒にいよう”
と思い、そして、その通りにしました。
おそらくは、限られている時間、だからこそ、一番良い時間にしたい
そんな思いでした。
何が十分かは、わかりませんが、子としてできることは したように思い、今は、悔やみに感じることはありません。
(嫁に感謝) すると、ここからは
□ あらゆることには期限があるものだと意識をし、精一杯を尽くす
ということに気付くようです。
そして、期限とは、人の寿命のように与えられるものも あれば、自ら区切り、設定していくこともできるようです。
今日も一日、自らに与えられた時間、一見、いつまでも つづきそうなその時間のなかに、自ら区切りと期限を与え、 ”○○までには、こうする”という目標を心に刻み込み、精一杯生きることができる、そんな自分であることにもう一歩近づくことを試みる一日としましょう。