見えるものは信じているもの

今日は9月3日木曜日です。

今日の一言 「 見えるものは信じているもの

“I’ll see it when I believe it”   (原典:Richard Israel)

いつものとおりのやや怪しい訳   “それを信じたら、それを見ることができるよ

いきなりなんのことかと思われそうですが、今日の言葉は一般的に使われているある言葉に基づいています。それは “I’ll believe it when I see it”  すなわち、

見ることができたら、信じてあげるよ” という言葉です。

誰かが言った何かについて疑問を呈するとき、その言われたことが本当であるかどうかを信じるか信じないかは “それを客観的に見る”ことができるかどうかで判断するというもの。  

すなわち 「物的証拠」、「客観的証拠」があれば、信じてあげるということ。

しかし、この考え方には基本的な間違いがあるのでは ないかと考えた方が考案した言葉が、今日の一言です。 すなわち “見る”とは、眼球でおきる現象ではなく、眼球から送られてくる情報を “頭脳”で解釈しているということなのです。

すると眼球からおくられてきた情報をもとに脳は “あぁ、これは○○だと認知するという行為に繋がる。 しかし、ときと場合によっては脳は「他のことで忙しく、見逃す」「これは、○○である、と思い込む」といったことにより “認知”がされないことがあるようです。

特に “そんなこと、ありえない”と思っていると目の前にある様々なことを “見る”ことができなくなっていることがある なので、今日の一言”I’ll believe it when I see it”、“それを信じたら、それを見ることができるよ” になるようです。 ということで、自分のなかにある「これは、こう」、「これは、ありえない」というI’ll see it when I believe itっていることがないか、さらっと振り返ることも良いことかもしれませんね。

【今日の目標】

その前提、断定は、最近になって(やっと)気がついたこと。それは、前提、断定があったほうが、人はどうやら “楽(らく)”ができそうだ ということです。

例えば

  • “自分は、○○な人なんで。。。”という言葉。
  • “○○は、こういうものなんだ”
  • “◯◯という状況からして、できることは”

というのも断定かもしれません。共通しているのは、これら前提、断定を持ち込む

ことにより、 自分で様々ないくつかの道、可能性、あるいは枠を超えた発想を

考えたり、自分自身に挑戦する必要がなくなり、  

  • “自分はこうだから”
  • “状況は、こうだから”
  • “○○は、こういうもの”

というところに結論のゲタを預けることができる なので “楽(らく)”になる効果があるようです。 で、また、楽になると同時に 今日の一言を裏かえせば、それはすなわち“盲目”、すなわち、 前提、断定以上のことを “信じなければ、見えない” という状態にあるということでもあるようです。

あえていえば、 “安住の盲目”状態とでもいうのでしょうか。 もちろん、それは自分にとってなんの得にもなっていないのかもしれませんね。

今日も一日、自分のなかにある様々な人、様々な事柄について、どんな断定、前提があるのか、それにより自分が楽をしていること、また反対に見えなくなっていることは何かを振り返り “信じれば、見えてくる”という言葉をさらっと心におきながら、自分がもっているかもしれない断定、前提を一つ一つ、突き崩し、新たな 新鮮な可能性を自分と自分の周りに与えることを試みる一日としましょう。

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