今日は、10月28日水曜日です。
今日の一言【フィードバック】
いきなりですが、たとえば、目の前にあるペンを握ろうとします。すると、頭脳から腕の筋肉に指令が届き、ペンを握ることができます。しかし、実はこれだけではペンを握ることはできません。その時、もう一つ大事なことが起きています。それは、その握っているという感覚が、頭脳に届くことです。
そこで“確かに握っている”ということの確認がとれる仕組みが、人の体には備わっています。これをフィードバックシステムというそうです。もし、握っているという感覚が指から届かなく、握っているかどうかわからないため、さらに強く握ったり或いは、混乱してペンを手放してしまうかもしれませんね。つまり、フィードバックシステムがあるからこそ人は自分の体や物を適切に扱うことができるわけです。
では、モノではなく人の“思い”について考えてみましょう。思いがあるからこそ人は言葉を発したり、行動したりします。よかれと思うことをします。しかし、人の思いには、人体のように自動的なフィードバックシステムは備わっていないようです。例えば、自分の思いが、相手に伝わったことを自動的、客観的に教えてくれるフィードバックシステムは、人と人との間にはないようです。
伝わっているのかどうかわからないので、さらに強く伝えたり、あるいは混乱して手放してしまうかもしれません。また、自分の思いが強く自分に対して、まわりに対して“こうあるべき、こうあってはいけない”という縛りをかけていることがあります。それは、まわりからみたら良く見えることがありますが、本人はその縛りにまったく気づいていないこともあります。
その“べきだ、べきではない”が、思った結果を生まないと、さらに強めつづけ、かえって状況を悪化させてしまうことがあるようです。人の思いには、体のようなフィードバックシステムはないであれば、人は自らの“思い”を見つめ、それが自分に、相手に、そして社会にどんなことをしているのか、見つめ直す必要があるようです。それができる唯一の方法それが“話し合う”ということのようです。
(参照:David Bohm, On Dialogue)
話し合うというのは簡単なようで難しく、また、難しいようで、一番本質的であり、人が人であることを証明する行いそのもののようです。話し合うことにより、お互いの思いへのフィードバックを相手につなげることができます。そのフィードバックは、必ずしも楽しいものばかりではなく時と場合によっては、厳しいときもあるかもしれません。
しかし、フィードバックの選り好みをしてしまうとどうなるでしょうか。体に例えると、それは自らの感覚を麻痺させることなのかもしれませんね。そして、感覚が麻痺していると、握ったペンが、実は危険物であったとしても、それを知ることができない
のかもしれません。大事なことは、そんな感覚麻痺を回避し、組織としての感覚の感度を高めること、それには、密度の濃いフィードバックが必要のようです。
今日も一日、普段の家庭や職場での“話合い”にてどんなフィードバックがお互いに交わしているのかまた、どんなフィードバックの選り好みがされているのかを振り返りながら、家庭や職場での“感度”をさらに高める一日としましょう。