こんにちは。今日は、5月22日金曜日です。
今日の一言
”学歴は歴史であり、学習は将来につながる”
(原典:わが嫁さんの知り合いの H さん)
今日のブログは知り合いであり家族ぐるみの付き合いをしている、中国の H さん(香港の実業家)の言葉です。
日本と変わらず、中国も学歴社会なのだそうです。
一人っ子政策により、両親からみた、その一人の子供への期待がとても大きく、よい大学に入ることが、とても重要視されているとのこと。
どこどこの大学をでている、というのが、人を採用する際の基準となっていることが多いなか、H さんは、あえて、そういう考えだけに止まっていないようです。
曰く
『学歴とは、文字どうり、歴史であり、すでに過ぎ去った過去のことである。しかし、その人が、今学習していることは、その人の未来をかたちづくる。』
とのこと。
したがい、自ら学習しつづける姿勢をもっている人を積極的に採用しているとのこと。
もうすこしつっこんで表現すると“給与は、未来をつくる学習に支払うのであってその人の過去の歴史となった学歴に払うのではない”
ということのようです。
人の“歴史”を証明するものとして、学歴の他にも例えば資格であったり、職歴であったり、前職のポジションとか業績であったりとか、いろいろあるようです。
しかし、大事なことは、そんな“歴史”を飾り立てることではなく、
今ここから、自分はどんな未来を見据えているのか
そのために何を学ぼうとしているのか
ということを、自らどの程度自覚をしているのか
ということなのかもしれませんね。
毎日、様々なニュースが飛び交い、目線が思わず下向きになりそうなこの時代にあって自分が見据えている・見据えたい未来とはどんな未来なのかそのために何を学ぶのかそんなことをさらっと振り返ること良いことかもしれませんね。
(私は学ぶことだらけのようです!)
とはいえ、いきなり未来なんてわからない、という声もしごくもっともです。
未来とかビジョンとか、どうやって形作ってよいかわからないという声も当然だと思います。
以前わが娘が好きで歌っていた”拝啓~十五の君へ”という歌にも、”自分とは何でどこへ向かうべきか、問い続ければ見えてくる”という歌詞がありますね。
やはり、問い続けることはしんどいということかもしれませんが、同じ歌のなかにこんなフレーズもあります。
“自分の声を信じ歩けばいいの”
まずは、歩く、やってみる、ということのようです。
自分がなにか行動を起こすと、なんらかのフィードバックが必ず外から返ってきます。指摘だったり、アドバイスだったり、褒め言葉だったりあるいは感謝の言葉であったり…
そんなフィードバックがあることが、実は自分の存在を証明してくれるようです。
また、そのフィードバックが自分にとって望ましいことであると、その先に、自分の未来がチラチラと見え始めるということのようです。
例えば、人から本気で感謝されると、人はそこに微かな使命感を感じはじめるようです。
歩いた分だけ、学びがあり、未来がかたちづくられる
そんな表現をしても良いかもしれませんね。
今日も一日、“歩いた分だけ、学びがあり、未来がかたちづくられる”を、さらっと心のなかにイメージし、目線を、“自らの過去から自らの未来”に移し、できることできそうなことを、目に見える、“行動”という形にする一日としましょう。