理由と工夫

今日は、5月17日日曜日です。

【今日の一言】

理由がなければ、それは作業になる
(原典:不詳)

少し前の、テレビ番組で、若い、天才肌のシェフが語っていた言葉のように、記憶をしています。

すなわち、

料理への一つ一つの工夫それぞれには、必ず、そうする理由がある。 その理由が大切であり、その理由がわからなければ、その一つ一つの工夫は、ただの”作業”となってしまうというような言葉だったと記憶しています。

ここでいう、理由

それは、目的であったり、根拠であったりするもののようです。

そうする”理由”、すなわち、目的・根拠がある

それが、明確である、理解できる、理解されている

だから、そうすることに意味が生まれてくる

しかし、それが明確でない、あるいは、理解されていないとそれは、意味を持たない、ただの作業になってしまうということのようです。

日々の日常、職場で、自らが行っている様々なこと、自分は、それぞれに、どんな理由を与えているのだろうか

あるいは、会社として、どんな理由を明確にしている、教えているのだろうか。 そんなことを、何気にさらっとふり返ることも良いことかもしれませんね。

  • 今日の目標

で、その理由です。

理由には、いくつかの”姿”があるようです。

例えば…

  □ 明確な目標をもつ、理由

こうすれば、こうなるはずだから…という仮説検証型の理由です。

ここで、こういう一工夫をすると、こういう味になるはず…

という感じかもしれません。

仕事でも、”ここで、こうお客様に接すると、きっと、こうなるだろう”という風に予測を立てながら試す感じかもしれません。

  □ 事実をしらべたい、という理由

 いまだ、仮説検証ができない状態なので、まずはいろいろ、試してみて、どんな反応・結果が現れるかを試すカタチの理由です。

ここで、こういう一工夫をすると、一体どんな味になるのか…

という感じかもしれません。

仕事では、”ここで、こうお客様に接すると、いったい、どう反応していただけるだろう”という風にこれからおきる事実に全身の神経を尖らせている状態。

しかし、これら二つのタイプの理由に共通していることは、そんな理由があれば、その”一工夫”の結果が一番大事になるということのようです。

すなわち、

□ 思った通りの味になったのか

あるいは

□ どんな味になったのか

が大事。

すると、あることを行ったにもかかわらず、その結果について気になっていないことがあるとそれは、おそらく、理由を持たない”作業”ということになるのかもしれませんね。

今日も一日、日々の日常や職場において、自らが行う様々な家事、仕事、行動について、そこに、どんな結果を期待しているのか、見つけようとしているのか、ということを、さらっとふり返り、そこに、どんな小さな理由でも良いので、それを明らかにし、あるいは与え、自らの行動にはっきりとした理由・根拠を与え、”作業”しているかもしれない自分から脱却することを試みる一日としましょう。

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