比較の言葉

今日は9月7日月曜日です。

今日の一言「比較の言葉」

「わたしは勝(すぐ)れている」、「私は等しい」、また 「わたしは劣っている」と考えている人は、それによって争うであろう。(神々との対話 歓喜の園より・仏陀の言葉)

  ー 私は優れている、等しい、劣っている

  ー あいつは優れている、等しい、劣っている

主語が自分であれ、相手であれ、これらの言葉は“比較”の言葉のようです。比較ですから相手と比べての世界です。 普段の私たちは、かなりの確率でこの思考モード考え方なのかもしれません。

この考え方ですが、 自分を深く振り返るインプットを得るための“比較”であれば、それも良いのかもしれませんが“比較”そのものが、目的化するとそれはいつしか“争い”になる ということを今日の一言は示唆しているようです。

どんな争いかというと

  1. 外に向かう争い:  俺の方が優れている、相手が劣っている、という前提の 言葉と行動“なぜ、俺の言うとおりにできない?”
  2. 内に向かう争い:  自分の方が劣っている、相手が優れている、という前提の言葉と行動“なぜ、あの人の言うとおりに自分はできない?”の二つがあるようです。

そして、一番ややこしいのが、 自分が内に向かう争いを抱えているまま、外に向かって争ってしまう場合、かもしれません。 すなわち、自分のなかに誰かと比べ劣っている感を抱いたまま、自分の部下さんが、何かうまくできなかった場合です 。

その際には、自分のなかにある、内の争いのマイナスエネルギーが、その部下さんへ“なぜ、言う通りにできない?”というマイナスのエネルギーと掛けあわさり、それが一気に 相手に放出されるような状態かもしれません。

すると、相手からみると、それは結構大変かもしれませんね。 できる理由、できない理由は、本来相手との“比較”のなかにあるわけではなく 、その人、その人、人それぞれにできる理由、できない理由、すなわち、“固有の理由”があるはずです。

自分の成長を促し、また、相手の成長を促すためにはあくまで、そんな固有の理由を抱えている“固有の自分”、“固有の相手”として捉え、そんな自分の特徴、相手の特徴をいかに、有利にうまく使っていけるのか という視点で見ることが良いのかもしれませんね。商売でも、競争相手の真似事ばかりしていても、うまくは いかないようです。

ということで、普段の家庭、日常、職場において、自分は比較のなかで自分や相手をみているのか、あるいは固有の他の誰とも異なる唯一の存在、として、自分や相手をみているのかそんなことをさらっと振り返ることも良いことかも しれませんね。

【今日の目標】

ある、お菓子やの社長さんの例です。 “頑張れば、頑張るほど、社員が辞めていった”ということを経験されたそうです。丁度、お店を増やしたとき、 目が行き届きにくくなり、商品が荒れたり、顧客からクレームがでたり 、そこで“自分が”声を荒げ、厳しく指導するなど頑張れば、頑張るほど、社員がやめていった。そして、大半の社員さんがやめてしまった時にもう、お店をしめようか、とまで思ったとのこと。

で、そこで社長さんがふと、気がついたことは、 そんなつもりではなかったが“社員を嫌いになっていたこと”そこで、気持ちを切り替えて“社員を好きになろう”と考えた、とのこと。そんなことから、出来上がった経営理念が、  

      “ひとりのお客様の満足とひとりの社員の幸せ”

今、目の前にいるお客様が満足されること、今、目の前にいる社員が幸せであることそれが本質であり、 社員を叱り飛ばしし、仕事をやらせる ことではない。

この話題から、何気にみえてくるのは “一人の社員”をまず“好きになる” という視点は、一人の固有の存在としての人を見つめる 言葉であり、 だれかと比較対象された結果の社員像ではないということなのかもしれません。

反対に“出来の悪い社員”を管理しながら仕事をやらせるという視点は、そこにはかなり比較が入りまた、どうも人をもって仕事に隷属させるような感が強いかもしれませんね。そんな職場では、必ず“争い”が生じるということを今日の一言でも言っていることなのかもしれませんね。

今日も一日、わが家、わが職場・わが社において、 家族一人一人、ともに働く社員一人ひとりが、誰とも比較する必要がない“固有”の存在であることをさらっと、心の中におき、まずは自らそんな固有の存在である 相手をそして自分を好きになることを何気に心がけ今日一日の言葉と行動でそれを示すことを試みる一日と しましょう。

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