今日は、6月3日水曜日です。
○ ブログを読んで頂いた方からのコメントをご紹介します。
まず、 T さんから
——— (ここから) ———
毎度の事ながらヘンなところに共感しているかも・・・です。
> かつてないほどの情報の量、かつてないほどの社会的仕組みの
> 濃密さあふれている時代
本当にそう思います。
何も情報がないよりはるかに良いと思うのですが、
結局、情報がどんどん入ってくるのに、受け取る側が良し悪し?
取捨選択?が追いつかなく、なんだかすごい世界になっちゃって
いるように思います。
> 自分がなんら選択をせずとも、社会の仕組みの上で、
> なんとはなしに生きていけてしまうのかもしれない。。。
今はそれで生きていけますね。(実感)
物事には全てなんらかの根拠があると思いますが、
それを考えずに、社会の仕組み通りに生きていると
どうも自分がなくなるようです。
自分の頭で考えないと、情報の選択もできないですね。
自分で考えないと経験も増えず、成長が鈍るという悪循環。
結果、社会からちょっと取り残された感じになると思います。
> しかし、それは、自分自身を幸せにしていく道ではないの
> かもしれません。
ぜんぜん幸せじゃないですね。笑
——— (ここまで) ———
つづいて、 K さんからのコメントです。
——— (ここから) ———
小生がはるか遠い昔、ナニカの本に影響されて
「選択することこそが人生なんだ」ということを、自分の頭に
焼き付けた頃を昨日の事の様に思い出しました。
鬱々とした若い時代はどんな選択をしようと、目の前の現実は
すべてと言っていいほどうまくいかないことばかりではありましたが・・・
これまでまでやってきたことは、良かれ悪しかれ選択し続けた
結果ではあるんだろうなと確信するわけです。
そうです。どんな嫁さんでも自分が選んだのだし(笑)今の仕事も、
立場も、環境もすべて自身で選択したんです。
選択する状況はたまたまそうなっただけかもしれないですが、
今のそれを選ばなかった事はありえなかった、いうのが
結論なのでしょう・・・
自分で選択した事実はどんな事が起ころうと、すべて自身で
引き受けるしかありません。
これが最初の頃は意外と難しいんですね。誰でも自分にとって
嫌な事や不利な事は認めたくないのが人情ですから。
事が起きているのに無意識に見えないふりをしてしまうんですね。
そういうわけで、目の前に起こった事実をすべて認めるという
作業は結構、覚悟が必要で大変です。
—(ここまで)—
Tさん、Kさん、貴重なコメントありがとうございました。
いただいたコメントを眺めていると。。。ふと、3つの
ことに気がつきました。
それは、
ー 選択しないとすることも、実は暗黙の選択であるということ。
相手のせい、社会のせい、いやいや、責任は私ではなく
他の部署にある。。。
といった、“選択しない”と決めることも、実は、当の本人が
気づかずに、“選択している”、ということ。
そして、もう一つ
ー “意図して選択する”とは、事実や結果を直視する勇気を持つこと
そして、これら二つといただいたコメントを合わせると
ー 事実や結果を直視する勇気がないとき、“選択しない”ふりは
できるが、それは、決して幸せではない
ということなのかもしれませんね。
これまでの人生での様々なできごとをイメージし、自分自身に重ね
合わせつつ、今日一日の自分にとっての“勇気”とすることも良い
ことかもしれませんね。
ー 事実や結果を直視する勇気がないとき、“選択しない”ふりは
できるが、それは、決して幸せではないという言葉をひっくり返すと
ー 事実や結果を直視する勇気をもつと、“選択”することが
でき、幸せにつながる、ということかもしれません。
すると、ポイントは、
ー 事実や結果を直視する勇気
ということになるようですが。。。
Kさんのコメントのように、“人情がからむ”部分。
とくに、思わしくない状況をみることは、感情的にもつらい部分がある。
では、どうすれば良いか
ここで、ふと思うこと誰しも、“自分のこども”は可愛い。
なにかが上手にできても、あるいは、ずっこけても可愛い。
ならば、自分をとりまく様々な事実や、結果は、“自分のこども”と
思ってみる、というのはどうでしょうか。
うまくいっていること、うまくいっていないこと、すべてをありのままに、
どちらかというと、母親的な姿勢で受け止め、そして、父親的な規律で、
次にどうするか決めることを促す。
そんな、“自分のこどもたち”と、楽しみながら話しをしてみるように。。。
何気にそんな視点を取り入れることができれば、
自分をとりまく様々な出来事、事実、結果“たち”とも
より楽しく、こちらから積極的にからむこともできるように
なれるのかもしれませんね。
今日も一日、日々の日常、家庭、そして職場における様々な
出来事、事実、結果は、すべて、“わたしのこどもたち”
という視点をさらっと心のなかにおき、そこから、
そんな“こどもたち”を母親らしく慈愛深くうけとめ、また
父親らしくビシっと方針をきめることを促すことから
自ら、“選択しつづける”生き方をもう一歩高める
ことを試みる一日としましょう。