基準は明らかに

こんにちは。今日は、5月24日日曜日です。

小生はISO9001の審査員の仕事をしていました。

今日のブログは、そんな経験に基づいたものです。

何気に気がついたことです。

審査先の会社さんを訪問し、もっぱら、仕組みのお話をお伺いします。

そこで、概ね話題の焦点となることは

”手順”

となることが多いのですが、ISO認証取得後10年くらいたつと、一度決めた仕事を進める手順、ルールが、守られていないことが多いということに気がつきました。

これは、なぜか?  やる気の問題か? 

認証マークの魅力が減ったのか…

でも、社員さんはみな真面目な方ばかり…

意図して手を抜いているわけでもなさそう…

と、思っていたら、

最近、ある会社さんでお伺いしたある言葉がヒントとなりました。

で、その言葉とは

”手順を決めることはできる。でも、基準を決めることがとても難しい”

とのこと。

 ここで、

 仕事の手順、ルールは、

 A をやったら、次は、B、Bをやったら次はC

 という、仕事の流れですが

 仕事への基準とは、

 その、A という仕事、あるいは B という仕事において

 何かを

 ー 評価したり

 ー 判定したり、

 ー 決断したりするときに

用いる根拠、拠り所、考える視点です。

すなわち、仕事の手順は、エイヤで決めようとすれば決めることはできるが、

実際に、その手順にて必要とされる基準を明らかにすることは、予想以上に困難なことということを、その方は言っておられました。

そして、それが、なぜ、手順破りにつながるのかというと、どうやら、こういう連鎖が起きているようです。

ー 手順を決める、そのとおりにすることを徹低しようとする

ー しかし、物事の判断をしないといけないとき、必要となる判断、評価、決定基準がはっきりしていないと仕事の成果は、個人依存になり、ばらつきがでる。あるいは、判断ができず、仕事が滞る

ー 結果、手順をまもっても”意味がない”と感じる

ー 守らなくなる

ということ…

すなわち、手順やルールを決めるときは、”必ず”そこに必要とされる基準もすなわち、用いる根拠、拠り所、考える視点一緒に”明らか”にする必要があるということなのかもしれませんね。 わが職場・わが社における、文字にされた、あるいは暗黙のままの守るべき手順やルール、そこには、どんな”基準”を私たちは埋め込んでいるのかさらっと振り返ってみることも良いことかもしれませんね。


  • 今日の目標

で、10年ほど前に、ISOの認証をとった会社さんの話に戻ります。

認証取得時点では、その会社さんが日常的に行っていた業務の流れに基づき、マネジメントシステムを構築した。

自分たちの仕事のやり方を踏襲したので、特に問題もおきなかった。

しかし、そこで、”明らか”にしたのは、手順だけであり仕事への基準は、その会社さんのベテラン管理職さんの頭のなかにあるままだったようです。

すなわち、”勘”、”感性”、”経験”といった言葉で判断、評価、決断をしていた…

しかし、それから10年

世代交替がおきましたが、では、その”勘”、”感性”、”経験”は、引き継がれたのかというと…

どうも、十分ではなかった。

すると、突然、それまで”機能”していた手順、仕組みが機能しなくなる

という事態が発生…

その結果、決めた手順を守る動機が薄くなり、次第に手を抜くという現象に発展していったということがあったようです。

基準とは、いわば、考えるポイントです。

当時のベテラン社員さんからすれば、当たり前すぎることがあり、だから、それをあえて、知識のカタチとして文字や絵にすることはなかった。

しかし、人の交替とともに、それが消えてしまったが、守るべき手順だけが残ってしまった。

ということだったようです。

では、為すべきことは何か。。。

それは、やはり、基準を求め、基準を明らかにしていくということなのかもしれません。

そして、その”基準”が、勘、感性、経験ではなく、だれもが理解できる客観的なモノとして見えてきたときこそ、それが、会社としての成長のタネになっていくのかもしれませんね。

今日も一日、わが職場・わが社において、お互いに、”どうして、その仕事がうまくできているのですか?”と、問いかけ相手の世界にしか存在しない勘や経験ではなく、客観的に、”あぁ~、だからですね”と思えるポイントをお互いに引き出し合い、共有することにより、わが職場・わが社において大事な”基準”を明らかにし、成長のタネとして大事に育てていくことを試みる一日としましょう。

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