当たり前すぎて見えない“盲点”

今日は、6月4日木曜日です。

今日の一言“盲点”

○ いきなりですが、問いです。ある会議の場を想定します。

  人数は、10人弱くらい、そのなかで、自分が、何かを説明するとします。

  他の人は、全員座ったままですが、

  自分は、説明をするにあたり、挨拶をかねて、

  他の人の前で立って説明をすることとしました。

  さて、この行為は、どのように受け取られるか。

  普段の、私たちの職場を考えると、これは、他の参加者に

  敬意を表していたり、あるいは、自分を謙遜、へりくだって

  説明をしようとしている姿、すなわち、相手を尊ぶ姿勢

  として、受け取られることが多いかもしれません。

  しかし、

  隣の、真ん中の国という名前の国で、これを行うとどうなるでしょうか。

  。。。実は、これは、立っている人が、座っている人に、説教・命令をする姿勢

  として、受け取られるそうです。

  あたかも、教師が生徒に対して、思い切り上から目線で、“あなたがたは、私の    

  言うことを聞きなさい!”という風に受け取られるとのこと。

  外国とはいっても、隣だし、西洋文化との差よりはそれほど距離は

  ないだろうと思いがちですが、こんな些細な振る舞いについても、

  解釈、受け取り方がこのように正反対なるようです。

  大驚愕! という話題でもありませんが、なにやらこの話、

  じんわりと、いろんなことを示唆しているのかもしれません。

  例えば

    □ 私たちには、まったく気付いていない“盲点”があるということ

      当たり前すぎて、見えていない。

    □ そして、そんな、”盲点”は、相手が気付かせてくれるという

      ことでもあるようです。

  家庭や職場において、普段の自分は、“こんなの当たり前だろう”

  とうい言葉を、心のなかで、思ったり、また言葉としてどの程度の

  頻度で使っているのか。そんなことを、さりげなく、ふり返ってみる

  ことも良いことかもしれませんね。

  • 【今日の目標】

 ○ 盲点は、様々な人との、前提をまじえない対話のなかで

   多く気がつくことがあるようです。

   では、自分だけでは、盲点に気がつかないのでしょうか。

   それは、自分が、何を前提としてものごとを見ていたり判断して

   いるのか、そのことに問い直すことによりある程度はできるかもしれません。

  例えば

    □ 人前では、立って話をするべきという、

      “言い切り言葉”が自分のなかにあれば、

    □ ところで、なぜ、人前で、立って話しをするのかという

      “理由を問う言葉”にすると“それは、その方が、相手を敬うこと”

      という答えがでるので、

    □ 自分は、“人前で立つって話をすると、それは、相手を

      敬うことになると、思っているという“前提言葉”がでてきます。

  そこで、そんな前提言葉に、本当? 全世界共通? 

  誰もがそう思う? 証拠は? 

  という疑問をたくさんぶつけてあげると、意外とそれは、証明されていなく、

  ただ、自分の思いこみであることがあるかもしれません。

  これを、自分たちの職場に置き換えてみると、

    □ わが社の強みは、○○だ

  あるいは

    □ わたしは、こう思われているはずだ

  という、”言い切り言葉”があることに気がつきます。

  そこで、そんな言葉に、

    □ ところで、なぜ、○○が、わが社の強みのなのか

    □ ところで、なぜ、わたしは、そう思われていると思っているのか

  。。。。と、展開し、でてくる前提言葉にいろんな疑問をぶつけると、

  とても身近な意外な“盲点”が浮かびあがってくることが、

  あるかもしれませんね。

  今日も一日、日々の日常や職場において、自分や職場の仲間が

  どのくらいの頻度で、“言い切り言葉”をつかっているか

  さりげなく確認し、そんな“言い切り言葉”やそこから

  見えてくる“前提言葉”に、様々な疑問、問いかけを笑いながら、

  行いそこから、自分だけでは“見えていない盲点”に気付く

  ことを、自らに促す一日としましょう。

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